よう、駄菓子食べてるか❓張飛だ❗
最初に、最近見つけた面白いお菓子を紹介したい。これだ❗
その名も『まずい棒』だ。自ら、まずいと宣言しているのが衝撃すぎる・・・。このお菓子を出しているのは、千葉県の銚子電鉄だ。
会社の経営不振打開のために作ったそうだ。オンラインショップで購入して実際に食べてみたんだが、味はまず・・・くない!むしろ、めちゃくちゃうまい!
どうやら、「まずい」というのは味ではなくて経営状況がまずい、という意味でつけた名前らしい。
しかし、この名前で売りだした銚子電鉄、勇気があるな・・・。ちなみに、パッケージのイラストはホラー漫画で有名な漫画家の日野日出志が描いている。
気になるまずい棒の売れ行きだが、好調らしくて、おかげで2021年度の決算で銚子電鉄は6年ぶりに黒字を達成したというから、驚きだ❗何事もどこに突破口があるかわからねえもんだな。
じゃあ、余談はこれくらいにして、今日もおすすめの本を紹介するぞ❗
オールカラーで写真も豊富な「百人一首」の本
こんな奴におすすめ❗
- 写真が豊富な百人一首の本を読みたい奴
- 音読しやすい百人一首の本を読みたい奴
- 鑑賞のポイントが分かりやすい百人一首の本を読みたい奴
概要
本書は、『小倉百人一首』 の全ての歌の歌意や、歌の背景などをまとめた鑑賞のポイント、歌の語句や語法の解説などが分かりやすく書かれている。各歌ごとに品詞分解表もついている。
鑑賞のポイントの見出しには、歌の主題(テーマ)が示されているし、ほとんどの歌には、その歌のイメージに合ったカラー写真が掲載されていて、各歌が身近に感じられる工夫がされていると感じる。
また、巻末には和歌の表現技法(枕詞、序詞、見立てなど)や、語法がまとめられている。
ちなみに、百人一首とは、百人の歌人について、それぞれ一首ずつを撰んで、合計百首で構成する秀歌集のことで、通常百人一首といえば、 『小倉百人一首』をさしている。
なぜ、「小倉」(おぐら)がつくかというと、小倉山荘の障子(しょうじ)に貼るための色紙に藤原定家(ふじわらのさだいえ)という鎌倉時代の大歌人が百首を撰んでしたためたからだ。
当時の貴族たちの邸では、室内装飾のために、襖や屏風などに和歌をしたためた色紙を貼ることが、よく行われていたそうだ。
では、いくつか百人一首で取り上げられている和歌を紹介していきたい。
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
歌意 山鳥の尾の、その垂れ下がった尾が長々しいように、秋の長々しい夜をひとりで寝ることになるのだろうか。
柿本人麻呂
「原色 小倉百人一首」鈴木日出男 山口慎一 依田泰 共著(文英堂)
歌番号は3。万葉時代最大の歌人で「歌聖」(うたのひじり)とも呼ばれた 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ) の詠んだ歌だ。
柿本人麻呂は、枕詞を多用した歌人としても知られている。壮大なスケールの歌が多くて、万葉時代の歌人では一番好きな歌人だ。
ちなみに、枕詞(まくらことば)とは五音句からなっていて、ある語句の直前に置いて、声調を整えたり、印象を強めたり、その語句に具体的なイメージを与えたりする表現技法だ。
例えば、この歌でいうと、「あしびきの」が枕詞で「山」にかかっている。
この歌は山鳥の尾の長々しさが、気がつくと秋の夜の長々しさになっているところが面白い。
そして、「の」が繰り返されることで、リズムが凄くいい。声に出した時にリズムが良くて、響きが心地良いというのも、短歌を作るうえで重要なポイントだと感じさせられる歌だ。
次はこの歌を紹介したい。
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ
歌意 吹くやいなや、秋の草木がしおれるので、なるほど山風を嵐というのであろう。
文屋康秀(ふんやのやすひで)
「原色 小倉百人一首」鈴木日出男 山口慎一 依田泰 共著(文英堂)
歌番号は22。六歌仙の一人である、文屋康秀(ふんやのやすひで)が詠んだ歌だ。ちなみに、文屋康秀は小野小町と交流があったことでも知られる。
この歌は「山」「風」の二文字を合わせると「嵐」になる漢字遊びがされている。
また、「嵐」は「荒らし」との掛詞となっていて、機知に飛んだ遊び心満載の歌といえる。
ちなみに、 掛詞(かけことば) とは同音異義の二語を重ね用いることで、言葉の連想によって独自な世界を広げる表現技法だ。
この歌は、歌合の場で詠んだ歌らしい。 「歌合」(うたあわせ) とは、左右に分かれて、双方からそれぞれが一首ずつ歌を提出して、二首の優劣を判定して勝敗をつける文学的な遊びのことだ。現在の歌会に近いかもしれない。
この歌を提出した時の、文屋康秀のドヤ顔が想像できるような(あくまで想像)、素晴らしい歌だ。
百人一首のなかで歌合の歌がいくつかあるが唯一、左右一番(ひとつが)いをのせたのが歌番号40、41の二首だ。その二首を紹介したい。まずは40番。
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
歌意 心のうちにこらえてきたけれど、顔色や表情に出てしまっていたのだった。私の恋は、恋のもの思いをしているのかと、人が問うほどまでになって。
平兼盛
「原色 小倉百人一首」鈴木日出男 山口慎一 依田泰 共著(文英堂)
そして、41番。
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか
歌意 恋しているという私の噂が早くも立ってしまったのだった。誰にも知られないように、心ひそかに思いはじめていたのに。
壬生忠見
「原色 小倉百人一首」鈴木日出男 山口慎一 依田泰 共著(文英堂)
この二首が「忍ぶ恋」の題で対決したんだ。二首とも凄すぎて選ぶ側は困ったに違いねえ・・・。まさしく、和歌の頂上決戦だ。
この二首の対決にはこんな説話がある。どちらも名歌すぎるため、判者(はんじゃ)が困っていた。その時、帝が「しのぶれど」の歌をくちずさんだため、この歌が勝ちとなった。その後、負けた忠見(ただみ)は落胆のあまり病になって死んでしまった・・・。
これは、作り話で事実ではないらしいが、こういう逸話が創られること自体が、この二首への当時の人達の高い評価をあらわしていると思う。
最後に『古今集』の中心的撰者だった紀貫之の歌も紹介したい。歌番号は35番。
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
歌意 あなたは、さあどうだろう、人の気持ちは私にはわからない。昔なじみの土地では、梅の花だけが昔と同じ香りで匂うのだったよ。
紀貫之
「原色 小倉百人一首」鈴木日出男 山口慎一 依田泰 共著(文英堂)
移ろいやすい人の心と、常に変わらない自然の風景を対照的に詠んでいる。
これは想像だが、貫之自身が自分に向けた歌のような気もする。屏風歌や祝いの歌などを詠む専門歌人として晩年まで和歌を探究し続けた貫之が、その情熱だけは不動でなければ、という決意の歌でもあるような気がしてならない。
実際は全然違うかもしれねえが、そんな想像が出来るのも短歌の面白さの一つだと思う。
この短歌を読んで思い出したのが、吉川英治の小説『宮本武蔵』のなかに出てくる次の言葉だ。
あれになろう、これになろうと焦心《あせ》るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作り上げろ。
吉川英治作『宮本武蔵』講談社刊
俺も様々な戦いを通して人の心の移ろいやすさというのは、実感している。
だからこそ、時が来れば必ず香る梅や、堂々とした姿を今も見せ続ける富士山のように、不動の自分をつくる努力をする事が大切なんだと思う。
まとめ
読む前までは、正直、百人一首には難しくて取っつきにくいイメージがあった。でも、読んでみると凄く面白くてやっぱり選ばれし百首だと感じる。
時を越えて、今も読み継がれているというのは、現代にも通用する時代を越えた普遍性のある名歌が多いからだと思う。
おまえも、百人一首というタイムマシンに乗って万葉時代から鎌倉時代をめぐる壮大な旅をしてみてはどうだろうか。
最後に
先日、「短歌ください」に投稿するバスのお題の短歌を考えていた時に気付いたアニメ映画『となりのトトロ』の、意外な事実を紹介したい。
サツキとメイを送り届けた後、ネコバスの行き先表示板に表示されていた、最後の行き先は
「す」(巣)だ。
じゃあな。
(次回は、11月27日(日)に更新予定)
コメントを残す