崖にて(北山あさひ著)現代短歌社

よう、酒を飲み過ぎてねえか❓張飛だ❗

今日は、最初に俺の詠んだ短歌が2月18日(土)の日本経済新聞の日経歌壇  (穂村弘選)に掲載されたから、紹介させてくれ。日経歌壇には、約4カ月ぶりの掲載となる。これだ❗

石井啄也というペンネームで掲載されているのが俺の詠んだ短歌だ。この短歌は、3年ほど前に俺自身が体験した交通事故のことを思い出して詠んだ。

その日、俺は戦い(仕事ともいう)を終えてある書類を提出するために、道路を歩いて渡ろうとしていた。そして、気がつくとなぜか俺は薄暗い部屋のベッドの上に横たわっていたんだ。病院であることには、すぐ気づいたんだが、なぜ俺がそこにいるのかがわからない。

一瞬、夢なのかと思ったがそうでもなさそうだ。俺は必死に頭を回転させて、思い出した。そういえば道を渡ろうとした時に、左から自分の目の前に車が近づいてきていた。しかし、そこからの記憶は一切ない。

ようやく、俺は車にはねられたと気づいた。鏡はないから自分の姿はわからないが、手や足、頭などいろんな所を打っていてどうやら血まみれになっている。

後で知ったがそこはICU(集中治療室)で、すでに頭部の検査をした後だった。(検査をした時の記憶はない)特に頭からの出血がひどかったんだ。

しかし、頭の中は骨折や出血がなく無事だった。結果的に、足を骨折していたがその他は打撲による出血のみで命に別状はなかった。

後から、関羽たちに聞いた話によると医師は頭が無事だったことに、凄く驚いていたという。警察の人も言っていたが、防犯カメラにたまたま事故の様子が映っていて10メートル近く飛ばされていたらしい。「死んでてもおかしくない事故でしたよ」と言われて、あらためて命が助かったことに感謝した。

そんな死んでもおかしくなかった災難を「死神」に見立てて短歌を詠んだ。嬉しいことに、選者からのコメントも掲載されている。

採用してくれた上に、コメントまでくれた選者に心から感謝したい。また、俺の短歌が掲載されることがあれば、紹介したい。

余談はこれくらいにして、今日もおすすめの本を紹介するぞ❗

北山あさひの第一歌集

こんな奴におすすめ❗

令和に注目され始めた面白い歌集を読みたい奴

概要

歌人北山あさひの第一歌集だ。この歌集は、2021年に「現代歌人協会賞」「日本歌人クラブ新人賞」を受賞している。

現代歌人協会賞は、前年度に刊行された新人の歌集(第一歌集に限らない)を対象に最も優れた作品を顕彰するものだ。1988年には俵万智の『サラダ記念日』が受賞している。

日本歌人クラブ新人賞は、前年度に刊行された60歳未満の作者による第一歌集の中から優れた歌集に贈られる。

俺がこの歌集を読もうと思ったきっかけは、短歌入門書の「のんびり読んで、すんなり身につくいちばんやさしい短歌」に『崖にて』に収録されている短歌が2首紹介されていて、その短歌が凄く良かったからだ。

そして、今回歌集を読んで予想に違わず素晴らしい歌集だったからいくつか短歌を紹介したい。まずは、この短歌だ。

履歴書の写真のような顔をして飛んでいるのにかもめはきれい

「崖にて」北山あさひ(現代短歌社)

かもめの顔を「履歴書の写真のような」と例えた直喩が斬新で、しかもイメージしやすく著者のセンスを感じさせる短歌だと思う。

短歌において、直喩をつかう場合はあまり目にしたことのない個性的な比喩になっている事が大切、という事を教えてくれる短歌だ。次はこの短歌を紹介したい。

ブザーより一秒早く回り出すパトランプ、赤、誰か走ってる

「崖にて」北山あさひ(現代短歌社)

この短歌は、「報道部にて」というタイトルの連作の中の一首だ。2011年の東日本大震災の様子を伝えた連作で、当時著者は札幌市内のテレビ局で仕事をしていたようだ。

上の句は秒刻みの凄く細かい描写になっていて、下の句は「パトランプ、赤」と助詞が省かれて名詞が続き、全体として珍しい構成になっているがそれが、当時のテレビ局の緊迫した雰囲気を伝えるのにとても効果的な役割を果たしているように感じる。

そして、この短歌が続く。

「震度7!震度7!」と叫んでる桜田そんな声が出るのか

「崖にて」北山あさひ(現代短歌社)

この短歌も、当時の緊迫した状況を伝える。おそらく、普段はぼそぼそと喋るタイプであろう「桜田」が聞いたこともないような大声で叫ぶ。それほど、異常な状況なのだ。

さっきの短歌は、主に視覚で緊迫感を表現しているがこの短歌は、聴覚で緊迫感を表現していて読んでいる人は臨場感をとても感じられそうだ。

この「報道部にて」の連作は、大震災の記録としてもとても貴重なのではないかと思う。

次は、雰囲気のがらりと変わったユーモア溢れるこの短歌。

蓮池を見るおじいさん・おじいさん・Nikonを持ったおじいさん・わたし

「崖にて」北山あさひ(現代短歌社)

まず、蓮池が出てくるから池のほとりにいるのだろうか。そして、おそらくNikonはカメラだと思うから自然や水鳥などを撮影しているのかもしれない。

この短歌に出てくる4人の立ち位置が良くわからないが、遊び心に溢れていていろいろな想像が広がる短歌だ。

そして、この歌集のなかで一番好きな短歌はこれだ。

目をつむり私のなかの侍へ会いにいくおにぎりくれました

「崖にて」北山あさひ著(現代短歌社)

〈私のなかの侍〉というのは、自分自身の中にいるもう一人の強い自分のことだろうか。最後の「おにぎりくれました」からは、自分が疲れた時とか、困った時などに弱い自分をもう一人の強い自分が「頑張ろう!」と必死で励ましている。そんなシーンが思い浮かぶ。

そして、この短歌からは「どんな時でもあなたの中には、どんな敵にも負けない侍がいる」という著者のメッセージが秘められている気もする。

人間はときに、励ましてくれる人もいなくて孤独の闇に落ちる時もある。そんな時に大切なのは自分の中にいる〈侍〉の声でははないだろうか。そんな事を感じさせてくれた。

次は、この短歌を紹介したい。

くちづける猫のあたまの小ささよ悲しいことはヒトの領分

「崖にて」北山あさひ著(現代短歌社)

これは、MIMIという連作のなかの短歌だ。他の短歌で「ミミ」という言葉が出てくるが、おそらく著者の飼っている猫だと思う。

俺は、猫を飼ったことはないが以前、犬と熱帯魚を飼っていた経験がある。動物の種類は違うがなんとなくこの短歌を書いた著者の気持ちが分かる気がするんだ。

熱帯魚を見ていると、とても頭が小さくて「何を今考えてるんだろう」と気になる時があった。熱帯魚とか猫にも悲しみはあると思うが、ここでいう「悲しいこと」というのは人間が社会で感じる生きづらさのことだと思う。

それを表しているのがカタカナで書いた〈ヒト〉、つまりは他の動物とは違うヒト科としての人間ということなのだろう。

最後に紹介するのはこの短歌だ。

「北川」と間違われても振り返るたいせつなのは「北」なのだから

「崖にて」北山あさひ著(現代短歌社)

著者の出身は北海道の小樽市だ。この歌集の最初の一首は「北」という言葉で始まる。故郷の北海道への愛着や誇りを詠っているように感じる。

そして、もうひとつ別の意味も感じとれるような気がした。この短歌でいう「北」とは故郷を指すと同時に、著者にとってこれだけは譲れないという信念のようなものも含まれているのではないだろうか。

どんな時でも、「北」、つまり自分の決めた信念を貫いていく。その気持ちさえあれば、他の事はそれほど重要ではない。そんなふうにも思えた。

著者はあとがきで、こう述べている。

立派な歌は詠めないけれど、たいしたことのない私のままで、いちいち悩んだり迷ったりしながら、私にしか詠めない歌を目指していきたい。

「崖にて」北山あさひ著(現代短歌社)

俺自身も著者の言うように、自分にしか詠めない唯一無二の短歌を作れるように頑張りたいと思った。

まとめ

著者の詠む短歌はほんわかした優しい雰囲気の短歌やユーモア溢れる短歌もあれば、芯の強さを感じさせる短歌もあって人間的な懐の深さが短歌ににじみ出ている気がする。

それでいて、短歌をあまり読んだことがない読者にも意味が分かりやすい短歌が多いと感じた。

俺が紹介した短歌以外にも素晴らしい短歌がいっぱいあった。これからの、著者の詠む短歌も楽しみにしたい。

最後に

さっき書いたように、俺は以前は犬と熱帯魚を飼っていて動物は大好きなんだが今は飼えるところに住んでいない。そこで、関羽の家に行った時にチャッピー、リリーという2匹の犬と遊ばせてもらっている。

この犬がチャッピー。チワワとポメラニアンのミックス犬。血はつながってないが、リリーの良きお兄さん。

この犬がリリー。トイプードルと、チワワのミックス犬。チャッピーの妹分。かなりの甘えん坊で、人間の膝の上が定位置。

よく考えたら、今までは飼っていた犬や熱帯魚のこととか、チャッピーやリリーのことなど動物のことは短歌にしてなかったが思い出は数えきれないくらいあるから、動物のことも短歌にしていきたい。

じゃあな。

(次回は、3月12日(日)に更新予定)

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