はじめての短歌(穂村弘著)河出文庫

よう、やす子の走りに注目している張飛だ❗

最初に、今月掲載された俺の短歌を紹介したい。ペンネームは、石井啄也。まずは、8月1日(木)の産経新聞の産経歌壇(小島ゆかり選)に掲載された短歌がこれだ❗

品出しをしつつレジにも目を向ける 一塁ランナー気にするように

8月1日(木)の産経新聞の産経歌壇

コンビニに行くとチラチラとレジに客が来ていないか気にしながら、商品を棚に並べている店員さんを見かける。その姿が、野球のピッチャーが一塁ランナーが盗塁するのを警戒してチラチラ見ている姿に重なったのだ。

次に、8月17日(土)の日経新聞の日経歌壇(穂村弘選)に掲載された短歌がこれだ❗

「図書係 サタン」と書いて黒板の前から去ってゆく佐谷さん

8月17日(土)の日経新聞の日経歌壇

これは、俺が高校生の時に実際に見た光景である。

クラスで生き物係とか、いろんな係を決める時間があって生徒は希望する係の下に自分の名前を書いていた。ふと黒板を見ると図書係の下に「サタン」と書かれていて、俺は驚いた。誰が書いたのかと気になって、書いて去ってゆく人の後ろ姿を見ると女子の佐谷さんだった。

カタカナで「サタニ」と書いた文字の「ニ」の部分が斜めになって「ン」みたいになり「サタン」に見えたのだ。

次に『NHK短歌2024年9月号』のテーマ「旅」(俵万智選)に佳作として掲載された短歌がこれだ❗

旅に出る朝に便座に腰掛けて壁を見つめる瞬間が好き

『NHK短歌2024年9月号』NHK出版

俺は旅が好きで、旅に行く前にトイレの便座に腰掛けて壁を見つめながらこれから行く旅について想像する時間も好きである。そんな気持ちを詠んだ。

そして、今月の『NHK短歌』は嬉しいことに読書アプリ「ブクログ」の短歌好きのメンバーで結成している「ブク友ほむほむ短歌会」のうちの4人が同時に掲載された記念すべき9月号となった❗掲載されたページ順に紹介したい❗

最初に、5552の短歌だ❗なんと佳作として2首掲載された❗まずは、お題「屋上」(川野里子選)に掲載された短歌がこれだ❗

頭上からアルトの声が降ってきて太陽背負う屋上のきみ

『NHK短歌2024年9月号』NHK出版

5552のコメントによると、男子生徒が屋上から声をかけてきたそうである。それを「アルトの声」と表現しているのが、想像力をかきたてられていいなあと思ったし、「太陽背負う」という表現にしたことで「きみ」が幻想的でドラマチックな雰囲気をまとって、カッコいい短歌だなあと感じた。

もう1首は、テーマ「休日」(大森静佳選)に掲載された短歌だ❗

最終の電車で都会から帰るメタモルフォーゼ中のひとびと

『NHK短歌2024年9月号』NHK出版

まことが調べてくれた情報によると、「メタモルフォーゼ」はドイツ語である。この言葉が入っている短歌は見たことがなくてオリジナリティがあるし、「メタモルフォーゼ」が入ることで非日常感のあふれる神秘的な雰囲気の短歌になっている気がした。俺も気になった言葉は覚えておくようにしたいと思った。

次に、☆ベルガモット☆の佳作として掲載された短歌を紹介したい❗テーマ「休日」(大森静佳選)に掲載された❗これだ❗

休日に「お元気ですか」と君宛てに送信をする指が冷たい

『NHK短歌2024年9月号』NHK出版

この短歌の「指が冷たい」は、☆ベルガモット☆のコメントによるとメールを久々に送信する時の主体の緊張感を表しているそうだ。

「指」の冷たさで緊張感を表現しているのが、凄く新鮮に感じたし、第4句までのほのぼのとした雰囲気から、結句で急に緊迫感が出る展開もとてもいいなあ、と感じた。

最後に、「読者はどっちをよむ?朝と夜」に掲載されたまことのエッセイと短歌を紹介したい❗これだ❗

とても心が温まるようなエッセイで、デモテープを作ってパーソナリティーになりきったというところにはユーモアを感じて、まことがパーソナリティーになっているラジオを聴いてみたいなあと思った。

短歌も編集部の人が書いているように俺も胸にとても沁みてまことの坂本龍一愛が伝わってきた。結句の「残して」という、言いさし(最後まではっきりと言い切らずに、途中でとめたような文章の形)がまだまだ彼に生きていて欲しかったというまことの気持ちを表現しているような気がして、短歌の内容にとても合っている気がした。

改めて、5552、☆ベルガモット☆、まこと、おめでとう❗

じゃあ、今日もおすすめの本を紹介するぞ❗

人気歌人、穂村弘の短歌入門書

こんな奴におすすめ❗

短歌の入門書を読み終えて、もっと短歌のことを知りたい奴

概要

著者は人気歌人でエッセイストとしてもめ有名な穂村弘。この本は、俺が唯一持っているサイン本である。

先日、参加した山形の文学講座でサインしてもらった。最初、この本はタイトルから通常の短歌入門書かと思ったのだが、読んでみると純粋な入門書ではなく、すでに短歌を作り始めた人や歌集とか短歌の本をある程度読んだ人に向いている本だと思った。

解説によると、この本は2013年の慶應丸の内シティキャンパスにおける短歌の入門講座がもとになっているという。

主な内容としては、様々な短歌を改悪例と共に紹介しながら、どういう短歌がいい短歌なのかを解説している。特に印象に残ったところを、いくつか紹介したい。

空き巣でも入ったのかと思うほどわたしの部屋はそういう状態

平岡あみ

空き巣でも入ったのかと思うほどわたしの部屋は散らかっている

改悪例

『はじめての短歌』穂村弘著(河出文庫)

上がもとの短歌で、下はあえて歌を悪くした改悪例である。著者はこう書いている。

「私の部屋はそういう状態」って言われたとき「え、どういう状態?」って一瞬考えますよね。0.5秒くらい。一瞬考えるっていうのは、コミュニケーションなんです。

〈中略〉

その余地が左にはない。「散らかっている」と言われると、それ以上意識や感情が動かない。「散らかっている」という言葉はラベルだから、それをぺたりと貼られると、心が動かない。

『はじめての短歌』穂村弘著(河出文庫)

読者に「一瞬考える」余地を残すのが大事なのだと感じた。想像の余地を残す、オチをつけないと言い換えてもいいのかもしれない。

目薬は赤い目薬が効くと言ひ椅子より立ちて目薬をさす

河野裕子

目薬はビタミン入りが効くと言ひ椅子より立ちて目薬をさす

改悪例1

目薬はVロートクールが効くと言ひ椅子より立ちて目薬をさす

改悪例2

『はじめての短歌』穂村弘著(河出文庫)

この短歌は、講座でも解説していた。改悪例2の「Vロートクール」が、社会生活のなかでは正解かもしれないが、正解というのは個別性がない。だから、短歌では正解=ダメ、ということになるとほむほむは言っていた。

逆に、「赤い目薬」というのはその人しか間違わない。だから、永久欠番性が強い、という表現をほむほむはしていた。「赤い目薬」のほうが、短歌ではいいということになる。とても深い話だと感じた。

次に、紹介する短歌はこの本で紹介されていた短歌のなかで一番印象に残った短歌である。

雨だから迎えに来てって言ったのに傘も差さず裸足で来やがって

盛田志保子

『はじめての短歌』穂村弘著(河出文庫)

この短歌について、著者はこう書いている。

これは怒っている?違うよね。これは感動している。

〈中略〉

この人は忘れないよね、この日のこと。あの日あの人は来たけど、傘も持ってなくて、二人で濡れて帰って一緒に風邪ひいた、みたいな。風邪ひいたら、「生きのびる」ためにはNGだよね。

でも、「生きる」ためにはOKなものをはかる尺度はシンプルなもので、それは忘れられないかどうか。

〈中略〉

この歌の中の裸足で迎えに来る人間の、オーラね。人間ではないような、異様な輝きがある。

その輝きの源というのは、「生きのびる」ということを顧みずに、「生きる」に純化した魂の輝き。

『はじめての短歌』穂村弘著(河出文庫)

俺は、この短歌を最初読んだときに「ああ、彼氏が迎えに来たんだな」と思った。しかし、実際に迎えにきたのは短歌の作者の妹だったという。それを知って凄く驚いた。

著者は「生きのびる」に対して「生きる」ということについてこの本においては非効率、無意味、お金にならないものと定義している。そして、この章のタイトルは「いい短歌とは、生きることに貼りつく短歌」。

書いてることが深くて、俺はまだわかったようなわからないような理解しきれてない状態だが、ここもしっかり読み返したい。短歌を作るときに、活かせるようにしたい。

最後の章の「短歌を作るときは、チューニングをずらす」では、こんなことを書いている。

なんとなく素敵そうなことを詠むと失敗します。

いろんなやり方があるけれども。人には言えないこととか、すごく恥ずかしい自分だけが抱く欲望やイメージを書くとか。

〈中略〉

あと、家族にインタビューしてみるとかね。おばあちゃんとかに聞いちゃうとか。子どもになんか聞いてみるとか。彼らは社会的チューニングが、サバイバルのチューニングがズレてますからね。もしくはまだ身についてないから。

『はじめての短歌』穂村弘著(河出文庫)

そう言えば、子供たちの言葉とか行動ってそのまま短歌に出来そうなことが多い気がする。俺自身、ガチャピンのことをブロッコリーと言った子供のことを短歌にしたこともあった。チューニングをズラして短歌を作るということについても、しっかり考えたい。

まとめ

この本に書かれていることは、いい短歌を作るために凄く重要なことばかりだと感じる。

内容が難しいところもあるが、いい短歌の例と改悪例も挙げてくれていて凄く丁寧に解説してくれているので、何度も読み返して短歌作りに役立てたいと思う。

最後に

先月、山形文学講座に参加した翌日、まことからコメントで教えてもらった斎藤茂吉記念館に行った。

記念館の前にあった斎藤茂吉の像。

ここが入り口。

ロビーには短歌ポストというのがあって、短歌を投稿できるようになっている。俺も一首投稿した。

ここから先は、写真撮影が不可ということだった。斎藤茂吉の生涯がわかるようになっていて、茂吉が使っていた物なども展示されていた。また、晩年住んでいた部屋を再現したコーナーもあった。茂吉は本に囲まれていると機嫌が良かったらしくて、本棚に本が一杯置かれていて本を整理したりするのも好きだったらしい。

直筆の短歌の色紙や短冊なども多くあって、俺はこの短歌が一番心に残った。

朝あけて船より鳴れる太笛のこだまはながし並みよろふ山

『あらたま』斎藤茂吉著

船の汽笛が港に近い山に鳴り響き、さらには奥のほうの山にも汽笛が長く広がっていく様子を詠んだものらしい。茂吉は、講義の途中でも汽笛の音が聴こえるとしばらく講義を中断して聴いていたらしい。

とても楽しい時間で記念館の近くの風景もとても良かった。

記念館のことを教えてくれたまことに、心から感謝したい。

じゃあな❗

(次回は、9月29日(日)に更新予定)

4 件のコメント

  • 張飛さん、おはようございます♪

    産経歌壇、日経歌壇、掲載おめでとうございます!
    産経歌壇の歌は私は、最初読み違えてコンビニの人が万引きを警戒しているのかと思ってしまいました。
    レジにくるお客さんを気にしていたのですね。
    これも、よくありそうでなかなか気づかないところですね!
    日経歌壇は、ベルガモットさんもおっしゃられていましたが、講座の前に選ばれたのか、講座後に選ばれたのか気になるところですね。
    佐谷さんとサタンを読み間違えるところとか、何か真似して詠んでみたくなっちゃうけど、二番煎じはいけないですよね(笑)。
    気づきとユーモアの感じられる二首でした。

    私のエッセイと、短歌の紹介、コメントもありがとうございました!

    そして、斎藤茂吉記念館にも行かれたのですね!
    私も山形に引っ越した最初の年に行きました。
    写真を見ると確かにああいうところだったと思い出しました。
    確か、かみのやま温泉に行った帰りに寄ったと思います。
    短歌にはそれほど興味を持っていなかったころなので、内容はあまり覚えていないのですが。
    機会があったら、もう一度出かけてみたいなあと思いました。
    風景写真もよく撮れていて美しいとわが故郷ながら思いました。

    • まこと、ブログを読んでくれたうえにお祝いのコメントもくれてありがとう!

      産経歌壇の歌は確かに今一度読んでみると、万引きを警戒してるようにも思えるな(笑)まことが言うように実際は、そういう意味でレジの方を見ている時もあると思う!

      日経歌壇の歌は講座の後、3週間くらいたって掲載されてるから講座のあとに選んだ歌かなあと推測している。俺のことを覚えていてくれたら嬉しいなあ。気づきとユーモアが感じられると言ってくれて凄く嬉しいぜ!ほむほむの『ぼくの短歌ノート』を読むと「間違いのある歌」っていう章があるくらいで、(そのなかに大松達知の「新宿駅徒歩十二年」の歌も入っていた)二番煎じにはならないと思うぜ!まことも、ぜひ間違いで思いだしたこととかあったら、短歌にしたら面白いんじゃないかなあと思う!

      斎藤茂吉記念館は本当に行って良かったよ!周囲の自然にも癒されたぜ!そういえば、帰りは近くのバス停からかみのやま温泉駅まで行ってそこから新幹線に乗ったよ!(花の写真はバス停のすぐ横の花壇で撮影した写真)まこともぜひ再訪してみてくれ!

      また、都合をつけて再来年ぜひ山形に行きたいなあ、と思う!

      • 張飛さん♪

        再来年は、ベルガモットさんと一緒に来て下さったらすごく嬉しいです!
        やっぱり、私も当日まで健康の不安はあるのですが、お待ちしています!

        • まこと、温かい言葉をありがとう!俺も再来年にならないとはっきりわからないが、なんとか都合をつけて参加したいと思ってる!
          その時は、まことの体調が良くて参加できて、☆ベルガモット☆も参加できることを願ってるよ!

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