よう、短歌詠んでるか❓張飛だ❗
今日は、最初に9月24日(土)の日本経済新聞の日経歌壇 (穂村弘選)に、俺の詠んだ短歌が掲載されたから、紹介させてくれ。これだ❗
石井啄也というペンネームで掲載されているのが、俺の詠んだ短歌だ。
ある時、戦いが終わって俺は趙雲(ちょううん)と一緒に帰っていた。すると、あいつが俺の目を見て、ワオキツネザルという動物の目に似ている、というんだ。
その動物は目の真ん中の黒い部分が少なくて、周りの茶色い部分が多いらしいんだが、俺の目もそんな感じらしい。
俺は、その動物がめちゃくちゃ気になって、城に帰ってから早速スマホで検索してみた。確かに、目が少し似ている・・・。ただ、ワオキツネザルほど、俺の目の黒い部分は小さくないが。
そんな思い出を短歌にしてみたんだ。この短歌への選者のコメントも掲載されていた。
俺の短歌を採用してくれた上に、コメントまでくれた選者に心から感謝したい。
また、俺の短歌が掲載されることがあれば、このブログで紹介したいと思う。
余談はこれくらいにして、今日もおすすめの本を紹介するぞ❗
人気歌人穂村弘の短歌読み解きエッセイ
こんな奴におすすめ❗
- 一首ごとの短歌に分かりやすい解説文がついた本を読みたい奴
- 様々なテーマの短歌を読みたい奴
概要
著者は人気歌人であり、エッセイストとしても活躍している穂村弘だ。
この本は、「身も蓋もない歌」とか「会社の人の歌」とか「高齢者を詠った歌」など、様々なテーマの短歌を、著者が解説していくエッセイだ。
俺は今まで、著者の歌集や対談集は読んだことがあったが、短歌について解説していく本は読んだことがなくて、凄くこの本を読むのを楽しみにしていた。
そして、実際に読んでみてその内容に驚嘆した。期待以上に素晴らしい本だった。紹介されている短歌も、もちろん素晴らしい短歌ばかりだが、それ以上にその短歌達の魅力を分かりやすく解説している著者の凄さに驚いたんだ。
普通なら、見逃してしまうような短歌の細部にまでスポットライトを当てて、その魅力を解き明かしている。
そして、時には紹介されている短歌の〈改悪例〉も示して、より短歌の良さが浮き彫りになるような工夫もなされている。
また、もう一つ俺がこの本を読んでいいと感じたポイントは、専門歌人の詠んだいわゆる名歌といわれるような短歌だけではなくて、新聞歌壇に投稿された短歌などアマチュアの作者が詠んだ短歌も多く掲載されている点だ。
では、いくつかの短歌を抜粋して紹介していきたい。
まず、「高齢者を詠った歌」では、こんな短歌が紹介されている。
スカートをはいて鰻を食べたいと施設の廊下に夢が貼られる
安西洋子
「ぼくの短歌ノート」穂村弘著(講談社文庫)
この短歌に関して著者はこう書いている。
そこには女性としてのぎりぎりの「夢」が描かれている。「スカート」と「鰻」という組み合わせの生々しさが痛切に胸をうつ。
「ぼくの短歌ノート」穂村弘著(講談社文庫)
そして、改悪例を示して、こう述べる。
お洒落してレストランに行きたいと施設の廊下に夢が貼られる
〈改悪例〉
全く平凡になってしまう。
「ぼくの短歌ノート」穂村弘著(講談社文庫)
作者の書いた短歌と、〈改悪例〉を比べると確かに天地雲泥の差のように感じる。
そして、それは先ほど著者が指摘した「スカート」と「鰻」という言葉の組み合わせによるものだと、解説を読むことで初めて理解できるんだ。
また、「間違いのある歌 その2」というテーマでは、こんな短歌が紹介されている。
誤植あり。中野駅徒歩十二年。それでいいかもしれないけれど
大松達知
「ぼくの短歌ノート」穂村弘著(講談社文庫)
俺はこの短歌を以前、読んだことがあってめちゃくちゃ好きな歌だ。大松達知(たつはる)という歌人の短歌だが、この歌人の短歌は面白い作品がとても多い。
この短歌に関しての著者の解説が、最高なんだ。次のように読み解いている。
「それでいいかもしれないけれど」に、ちょっとした意外性とリアリティがある。この物件に決めるとなると、〈私〉の年齢にもよるけど、一生をかけても自宅から駅までせいぜい二往復か三往復ってところか。人生の殆どが旅になる。なるほど、それも悪くはなさそうだ。
「ぼくの短歌ノート」穂村弘著(講談社文庫)
この文章が俺は好きすぎて何回も読み返している。俺がこの短歌を初めて読んだ時、インパクトのある上の句だけに注目して下の句の「それでいいかもしれないけれど」についてはあまり深く考えたことがなかった。
しかし、著者は全く違う。「それでいいかもしれないけれど」に意外性とリアリティがあると着目し、この物件に決めると人生の殆どが旅になり、それも悪くなさそう、と結論付ける。
この短歌をレコードに例えると(若干例えが古いが・・・)、俺はA面しか見ていないのに対して、著者はB面にまで光を当てて、その魅力を余すところなく示している。
同じ短歌でも読む人の読解力によってこれほどまでに、見る景色が違ってくるのかと感動した。同時に、短歌の奥深さを再認識できて凄く嬉しかったんだ。
そして、最後に紹介するのは俺がこの本で最も心に残った「ドラマ化の凄み」というテーマで紹介されていた短歌だ。
ちなみに、この「ドラマ化の凄み」というテーマで紹介されているのは全て大西民子というすでに亡くなっている歌人の短歌になる。
わが使ふ光と水と火の量の測られて届く紙片三枚
「ぼくの短歌ノート」穂村弘著(講談社文庫)
この短歌は、簡単にいうと「水道光熱費の請求書が来た」という、ただそれだけのことだ。この短歌について著者は、こう書いている。
光熱費の請求書が言葉の力によってこんな見事な歌になるとは、と驚かされる。
「ぼくの短歌ノート」穂村弘著(講談社文庫)
この他にも同じ歌人の歌が7首紹介されているが、どれも日常のありふれた場面をドラマチックに表現していてめちゃくちゃカッコいい・・・。
表現力が豊かじゃないとこうもドラマチックには詠めないと思うし、非常に冷静に物事を洞察していると感じる。
それと、俺が思ったのは自分の回りで起こる様々な事象を希望の方へ、前向きな方へと捉えていく、そんな心の姿勢が生きていくうえで大事なんじゃないかということだ。
ともあれ、この「ドラマ化の凄み」はこの本の中で最も読んでほしいテーマだ。
まとめ
この本は短歌初心者のみならず、短歌にある程度触れている奴にも心からすすめたい最高の本だ。
短歌をより深く楽しむ事が出来るようになるし、短歌を自分で作るうえでのヒントも多く散りばめられているからだ。
最後に
豆知識を1つ、紹介したい。
白は、膨張色で実際より大きく見える。黒は、収縮色で実際より小さく見える。
そのため、囲碁の碁石は白より黒の方が
大きく作られている。
じゃあな。
(次回は、10月2日(日)に更新予定)
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